相模原市の森

  今から 60年前 の今日 (2月 3日)  アイオワ州のクリアレイク近郊で

 飛行機の墜落事故という痛ましことが起きました!

 

 バディ ホリー(22歳) リッチーバレンス(17歳) J.P ビッグ ボッパー

 

 リチャードソン の 3人の ロック スターと パイロットの方が 亡くなりました。

 

その中の 一人の リッチーバレンスの 自伝映画 「 ラバンバ 」

 

 32年前に  上映されました! 

 

1987年の映画ですが リッチーバレンスが 17歳で なくなったと 聞いて

 

この映画の公開当時 17歳だった私は

 

 映画に感情投入して 入り込んでみていた 記憶があります!

 

 

 さて

 

そんな 60年前に 悲しいことがあった 今日ですが

 

私は 今日 NHKの番組 「日曜美術館」で 画家の

 

遠藤彰子先生

 

のことを放送を見ました!(話しが 飛びすぎですね・・・)

 

 実は 相模原市の こもれびの森(相模原市 南区西大沼

 

に 遠藤先生 の アトリエが 1969年から 現在まで あり・・

 

 僕も 1981年 (小6)の時に ここに 住んでいた!

 

 当時 この辺りは 雑木林ばかりで なんにも なかった。

 

  それは 今も ある意味 変わらない。

 

 番組の中で

 

 この森の存在が 遠藤先生に 創作意欲を 沸かせた!

 

と言われていた。

 

 僕は 子供 のころ この森が 本当に 怖くて・・・・

 

街頭なんて  ないので 自身の懐中電灯だけが たよりで・・・

 

  少年のころ 怖いと 感じた この森の 存在が

 

 遠藤先生の 絵画にも 表現されているように 感じた。

 

 番組の中で 遠藤先生は この森のことを 「動物と人間の楽園」

 

と言われていた。

 

   そう、当時は 夜なんて とくに 何が 出てくるか

 

わからない ので いつも 気をぬけない 感じが していた。

 

  

 

 

 遠藤先生の 話から ずれてしまいますが

 

当時 我が家は  四畳一部屋で フロもTVもない 生活で

 

 真冬でも 半袖 半ズボン で 過ごした 。

 

貧乏で 食べ物も あまりなかった。

 

 でも 近所の 肉屋さんが 無料で 残りものを

 

くださったり、 近所の方が お風呂に いれてくれたり・・・・

 

  人様の暖かさに 支えられ生活が できた。

 

 また 自然の中では

 

 山ぶどう タラの芽 フキノトウ くわの実 あけび など

 

  無料で 食べられるものが 森には 沢山 あった。

 

 遠藤先生も この森を 毎日観察しながら 絵画の創作を

 

 されていらっしゃるそうですが

 

 先生の作品が 幻想的なのも 自然が与える 想像力の産物なのかも しれませんね!

 

想像力といえば 僕は RADIO の朗読の 番組や 本や 小説が

 

好きなのも 想像力が 働くからだと思う。

 

  今の時代は 

 

想像力 や 独創性 なんかも 失われてしまっている。

 

 時代は 便利に なるけれど 心は 失うばかりだ!

 

 話しは ずれたが  ともかく 遠藤先生の 絵画の世界は 本当にすばらしい!

 

 何時間でも 見てられる ような 絵画である!

 

  また 番組に 美術監督の 種田 陽平さんが 出てきて

 

遠藤先生の作品について コメントを していた。

 

 種田監督の作品も僕は好きで  以前 相模原のこの森の 近くの

 

女子美術大学で 監督が 講演会をされていて 

 

その時に サインいただいた。

 

 監督も 遠藤先生の 作品が 好きだったのが なんとなく

 

嬉しいかった。

 

 

   
 

 

 

雑記

 

 6日 日曜日に 松本零士先生のトークショーに行きました。

 

いろいろな お話しの中で 私が印象に残ったのは

 

  戦後の極貧生活のお話し・・・・

 

 松本先生は 映画 「風と共に去りぬ」の セリフに

 

自分を 重ねて 誓いました!

 

 私は 「二度と飢えない!!」 と

 

どんなことが あっても 二度とこのような 思いはしないとの 

 

強い決意で 弱音も 吐かず 今日まで 頑張ってきたそうです。

 

さて 「風と共に去りぬ」の この セリフですが

 

 

主人公の スカーレット オハラが 

 

「 I'l never be hungry again 」(私は二度と 空腹には なりません)

 

といいます。

 

 その場面は 南北戦争で 最初の夫を失い スカーレットは 故郷のタラの農園へ戻ります。

 

しかし 故郷は 荒廃し 母親亡き後 彼女は 飢えを凌ぎながら 家を

 

守らなければ なりませんでした。

 

 その時に 焼野原を 見ながら このセリフを 口にします。

 

松本先生も 戦後の焼野原を見ながら 「今にみろ 負けてたまるか!!」

 

と 誓われたのですね!

 

 アメリカ兵が くれる キャンディーや チョコレートを

 

本当は食べたくて 仕方なかったけど 足で 踏みつぶし

 

死んでも 口にして なるものか!! と思われたそうです!

 

 松本先生の作品には 明日の為に 歯を食いしばって 耐え抜く

 

主人公が 沢山でてきますね!

 

 きっと 少年の日の この思いが 投影されているのですね!

 

 いやー でも 松本先生の 話しは 感動しました!

傘寿 (80歳)とのことですが とても お元気でした!

 

リスペクトです!

 

 

 

松本 零士先生

 

 

今月 6 日に たまプラーザ駅にあります 

 

東急プラザにて 「松本 零士展」 があります!

 

行くのが今から とても 楽しみです!

 

 2001年に 新宿の伊勢丹で 「大松本零士展」

 

 2012年 相模原市民ギャラリー 

 

 2014年 町田小田急デパート

 

 などの 展示会とトークショーに過去 行きました!

 

私の アメーバーブログ 記事にも   「アメーバーブログ

 一剣」で検索 

 

すると 見られます。(2016年3月4日の記事)

 

 (2017年 11月7日)

 

 

 

   松本 零士先生の記事を 書いています。

 

 

 松本零士先生 といえば やはり 小学生の時に

 

  「宇宙戦艦ヤマト」 や 「銀河鉄道999」

 

などの まんが や アニメーション を見たことが 宇宙が好きに

 

なった きっかけだと 思います!

 

  宇宙へのロマン 憧れ! 

 

   松本零士さん や 宇宙飛行士 のトークショー

 

 本当に ワクワクする!

 

  悠久で広大な宇宙に比べたら 

 

人間なんて 本当に 小さいし 無限の時間の中で 人間の一生なんて

 

 本当に一瞬の出来事!

 

  我々がくよくよ 

 

悩んでる出来事なんて 宇宙からみたら 

 

  本当に 小さいことですものね!

 

1月2日

 

人生には 師が必要だ。

 

人間だけが師をもつことができる。

 

 師弟の道によってこそ、人間は人間としての最高の宝を

 

  学べるのである。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 2009年 1月

 

 学園生が池田先生に 「お題目をあげると どうなるんですか」との質問の答え

 

  1時間あげると 自分が変わる

 

    2時間あげると 相手が変わる

 

   3時間あげると 周りが変わる

 

   5時間あげると 奇跡が起こる

 

  100万遍あげると 福運が感じられる

 

      700万遍あげると 人間の基底部が変わる

 

  2000万遍あげると 逃げても逃げても 福運がついてくる

 

  7000万遍あげると 信仰の王者になれる

 

 

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

 女性に贈る言葉365日より

 

引用します!   以下

 

浩々(こうこう)と輝きをましてゆく月の如く、

 

 また、 刻々とみなぎりゆく大海原の潮の如く、

 

 一日一日、 そして一年一年と、かぎりなく向上し、

 

 成長していける人生を、 ともどもに 歩みたい。